SAKAKI神社備忘録 > 神社 > 静岡県の神社 > 富士山本宮浅間大社
御祭神 |
木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと) (別称:浅間大神(あさまのおおかみ)) <相殿> 瓊々杵尊(ににぎのみこと) 大山祇神(おおやまづみのかみ) |
鎮座地 | 静岡県富士宮市宮町1-1 |
創建 | 垂仁天皇3年(B.C.27年) |
社格等 | |
例祭 |
11月3・4・5日 8月15日(富士山頂上奥宮) |
公式サイト | http://fuji-hongu.or.jp/sengen/ |
棕櫚(しゅろ)
浅間造りの社殿と御神体である富士山をデザインした御朱印帳。
全国に約1300社ある浅間神社の総本社であり、東海最古の神社である富士山本宮浅間大社。
富士山を神体山と祀る神社で、富士信仰の中心地。
富士山南麓の本宮と富士山頂の奥宮の2つあります。
富士山の八合目以上は浅間大社の境内です。
世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成遺産のひとつに登録されています。
また、富士山頂の奥宮および末社の久須志神社が「富士山域」の一部である「山頂の信仰遺跡群」の一部として登録されています
写真は第一鳥居。
標高3776m、日本最高峰の富士山をデザインしたTシャツ。
優美な風貌は海外でも日本の象徴として知られ、数多くの芸術作品の題材とされています。
また古くから霊峰とされ、木花咲耶姫命を祀る浅間神社を中心に、富士山を神と見立てて信仰されています。
第二鳥居。
第7代孝霊天皇の頃、富士山が大噴火し、国中が荒れ果てました。
その後、第11代垂仁天皇が富士山の神霊「浅間大神」を、富士山麓で鎮めたのが始まりといわれています。
当初は特定の場所で祀られていたのではなく、その時々に場所を定めて祭祀が行われていました。
特定の場所に祀られるようになったのは、山宮(現在の山宮浅間神社)にお祀りされてからになります。
山宮は社殿に該当する建物が無く、古木・磐境を通して富士山を直接お祀りする古代祭祀の原初形態を残す神社です。
参道。
大同元年(806年)坂上田村麿公は平城天皇の勅命を奉じ、現在地に壮大な社殿を造営しました。
山宮から浅間大神が移るにあたって、元々この地にあった現在の富知神社も遷座したといわれています。
その後、朝廷からは名神大社、駿河国一宮とされ、厚い崇敬を受けました。
武家からは特に源頼朝公、北条義時公、武田信玄公、武田勝頼公、徳川家康公が厚い崇敬を寄せました。
境内にあるしだれ桜は武田信玄公の寄進であるといわれ、信玄桜と呼ばれ親しまれています。
第三鳥居。
御祭神の木花之佐久夜毘売命にちなんで、境内には約500本の桜が植えられています。
狛犬。
流鏑馬像。
源頼朝公は、建久4年(1193年)に流鏑馬を奉納されました。
現在まで流鏑馬祭として伝えられています。
流鏑馬祭は毎年5月5日に行われています。
鮮やかな朱の楼門。
鉾立石。
明治の初めまで行われていた「山宮御神幸」の際に、神の宿った鉾を立てて休めるために使用された自然石です。
拝殿。
社殿は慶長9年(1604年)に徳川家康公により造営されました。
宝永地震(宝永4年(1707年))や安政東海地震(嘉永7年(1854年))などで崩壊した建物もありますが、当時の建物では本殿、幣殿、拝殿、楼門が現存しています。
浅間造と呼ばれる珍しい造りの本殿は、国の重要文化財に指定されています。
社殿の上に更に、別の社殿が載った二階建ての建築様式です。
高さは13.6m(45尺)あります。
御朱印帳にも本殿が描かれています。
湧玉池。
富士山の雪解け水の湧水です。
毎秒3.6klの湧水量です。
噴火を水によって鎮める考え方から、湧玉池のほとりに建てられたとも考えられています。
国の特別天然記念物に指定されています。
湧玉池からも本殿が見えます。
JR身延線「富士宮駅」から徒歩約10分。
掲載情報は参拝時のものです。
最新のものではない可能性があります。